半年で自殺者が2人出た職場 [変なの?英会話教材]

半年で自殺者が2人出た職場
私は「うつ病裁判」をどう闘い抜いたのか【2】
プレジデント 2010年10.18号
「O君が今、行方不明になっている。連絡があったら『何も心配しなくていいから、とにかく出てきて』と伝えてほしい」

ライター 宮内 健=文
キーワード: こころ 上司と部下 人事・人材・雇用 法律・コンプライアンス 医療・健康 訴訟 「うつ病裁判」 Size: ブックマーク>>「私は『うつ病裁判』をどう闘い抜いたのか」の目次はこちら

東芝深谷工場で液晶ディスプレイの製造ライン立ち上げプロジェクトに従事していた重光由美さん(当時35歳)の職場では、01年7月のある日、急に全員が招集された。

「O君が今、行方不明になっている。連絡があったら『何も心配しなくていいから、とにかく出てきて』と伝えてほしい」

Oさんは重光さんの斜め向かいに席があった同僚である。そんなアナウンスがあった数日後、Oさんは遺体で発見された。自殺だった。

それから5カ月後の同年12月には、やはりプロジェクトに従事していたKさんが自殺。

「Kさんは律儀だから、ほとんどの会議に出ていたんですよ……」

そう故人を思い返す重光さん自身、同年9月にうつ病で休職を開始した。一時的に復職したものの再度休職し、現在に至るまで療養を続けている。


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自殺・うつ病による社会的損失(2009年の例)東芝は重光さんに04年9月、休職期間満了を理由に解雇を通知した。これに対し、重光さんは東芝を相手取って「うつ病は業務に起因する」として解雇撤回を求め裁判所に提訴した。また、労働基準監督署に労災申請したものの認められなかったため、07年7月に労災不支給取り消しを求め行政訴訟を起こしている。

技術職として重光さんが東芝に入社したのは90年。取材でお会いしたとき資料を示しながらロジカルに説明する重光さんの応対は、まさに技術者の物腰と感じられた。

深谷工場では00年11月頃から「M2ライン立ち上げプロジェクト」と呼ばれる液晶製造ラインの構築プロジェクトがスタートした。これは東芝が世界に先駆けて開発に成功したポリシリコン液晶ディスプレイの生産ラインを立ち上げるもので、従来の製品に比べ性能が高い半面、製造が難しくコストダウンも困難だった。

裁判の判決文によれば、M2ライン立ち上げプロジェクトは「人を集中させて」「短期で成功する」垂直立ち上げを目指し、立ち上げ期間を6カ月にする計画が立てられた。M2ラインプロジェクトに先だち98年に実施された「M1ライン立ち上げプロジェクト」では1年1カ月が立ち上げ期間として計画されており、これに比べると大幅な期間短縮であることがわかる。

しかも生産規模は拡大し、サイズも一回り大きくなって技術的な困難さも増していた。加えて計画がスタートする前段階で、さらに期日を早める方針が告げられた。

しかし、これは「無茶苦茶なスケジュールだった」と重光さんは言う。実際、M2プロジェクトがスタートすると各工程でトラブルが多発し、対策に追われることになった。

M2プロジェクトにおいて重光さんは自身を含め3名が担当する、ある工程のリーダーを務めていた。当時の生活は8時から9時の間に出社し、帰宅は23時を過ぎることが当たり前になり、午前0時を超えることも増えた。

もともとM2プロジェクトでは週末も出勤を予定したスケジュールが組まれていたが、計画が遅れ出すと輪をかけて休日出勤が増え、プロジェクトが始まった00年12月から翌年4月にかけての所定時間外労働時間は、客観的な証拠が残っているだけでも平均して月90時間34分にも上る。


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