変なのっ!項羽の死 [出会い系]

変なのっ!いろいろ


項羽の死

項羽の死.jpg





韓信(英語 Han, Shin)が斉王となった頃、劉邦と項羽の戦いは最終局面を迎えていました。
両者は共に疲弊しており、和睦して天下を二分することでいったん戦いを終結させることにします。
しかし劉邦はこの約束を破り、退却しようとする項羽(英語名 Xiang Yu)を追撃しました。
このあたりの動きを見るに、項羽の使者・武渉が言っていた「劉邦は信用できない人物だ」という評は、間違いだとも言えないでしょう。
劉邦(英語訳 Liu Bang)はこの時、韓信や彭越(ほうえつ)といった配下の将軍たちに参戦を促しましたが、戦後の報奨を約束しなかったため、彼らはいずれも戦場にやってきませんでした。
このため項羽を討ち取り損ねた劉邦は怒りますが、またも張良(英語 ChoRyo)になだめられます。
「劉邦はすでに天下の半分を得ており、十分な成功を収めている。にも関わらず戦後の報奨を約束しないのは、劉邦が物惜しみをしているのだ、と諸侯は見ています」と張良は韓信たちの気持ちを説明します。
劉邦からすれば「項羽を倒せるかどうかもわからないうちに、大きな報奨の約束などできない」と考えていたのですが、配下の立場からみるとそれは違っていたわけです。
この進言を受け入れた劉邦は韓信に領土の追加と斉王の地位を保証し、参戦を再度促します。
今度は韓信もその他の将軍たちも劉邦の元に集結し、数十万にも及ぶ圧倒的な大軍をもって、ついに項羽を垓下(がいか)の地に追い詰めます。
ここで戦力の大半を失った項羽は撤退しますが、やがて烏江のほとりで自決し、天下は劉邦のもとに統一されました。
軍事的には韓信の功績が最も大きく、戦後に大きな報奨を受けることになります。
しかし項羽という最大の敵がいなくなったいま、劉邦の政権にとって、最も脅威となりうるのが韓信の存在なのでした。

変なのっ!いろいろ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。