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3位・袁崇煥(英語訳 Yuan Chonghuan )


三位は、意外と知られていませんが諸葛亮(英語訳 Zhuge Liang)に擬えられる程の名将で、明王朝最後の皇帝である崇禎帝に仕えた袁崇煥(えんすうかん)です。

彼は、中国史上初めて砲撃戦をメインとした戦いで大勝を収めた人物です。

彼は清との国境付近の防衛の薄さに危機感を覚え、国境付近の警備を強めるよう上策します。

そして彼は清との国境付近の防衛に当たるようになります。

彼はまず群臣の反対を押し切って西洋の大砲を輸入、そして堅牢な要塞を築き防衛の拠点とします。

その後1626年に清のヌルハチが13万の大軍で攻めてきます。

が、なんと袁崇煥は1万程度の軍でこれを退けこれが原因とも言われますが清の初代皇帝ヌルハチが死去します。

そして清はこの袁崇煥という男が一筋縄ではいかない事を知ります。

ここで清がとった作戦は離間の計と呼ばれる計略で、王に将軍に対する猜疑心を植え付けるものです。

清は崇禎帝(英語表記 Chongzhen Emperor)の近辺に袁崇煥が謀反を企てているという噂をたてた為、猜疑心の強い崇禎帝はなんと袁崇煥を凌遅刑(英語訳 ingchi)(清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。)にしてしまいます。

凌遅刑2.jpg


凌遅刑.jpg


これにより明の滅亡が決定したとも言われます。

袁崇煥は新しい兵器を積極的に取り入れる適応力、兵に対しても思いやりの深い性格、そして自ら戦線に出て戦い傷を受けても戦い続け軍全体の士気を上げる勇気が有りまさに明代の諸葛亮と言うに相応しい人物でしょう。

よって三位に選びました。
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2位・伍子胥(英語訳 Wu Zixu) [変なの?英会話教材]

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(WAVEさまより)

2位・伍子胥(英語訳 Wu Zixu)

二位は、春秋時代の呉に仕えた名将、伍子胥(英語表記 Wu Zixu)です。

彼は楚の生まれなのですが、楚の平王と奸臣費無忌(英訳 Fei Wuji)に計られ父と兄を処刑されます。

その出来事から彼の人生は復讐の人生となります。

そして、復讐の為に呉に行き、太子の光に野心があると見抜き光をサポートし呉王にまで押し上げます。

そして、天才兵法家である孫武を将軍とし見事楚を打ち破った。

しかし、呉越の戦いで呉王闔閭(英語訳 Kōryo)は亡くなりその子である夫差が越への復讐を誓い王位を継承しました。

その夫差というのが厄介で、なんと越を討った後は傲慢になり、越を討ったにも関わらず越王勾践の首を刎ねず中原を目指し侵攻しました。

伍子胥は、勾践は危険であること、范蠡文種(英語訳 Fan Li Bunshu)らの有能な家臣の元で呉への復讐の準備をしていることを諫言しますが、聞き入れられずとうとう邪魔だということで伍子胥を殺してしまいます。

その結果、越は呉を討ち呉王夫差は討ち取られ呉は滅びてしまいます。

この伍子胥という人物は激情の人で、復讐の為に呉を盛り上げ、呉王闔閭(英語訳 Kōryo)に対する感謝の念から暗愚な夫差に最後まで諫言を続けました。

その激情さに心を打たれたので二位に選びました。
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